小学生の子供の夏休みの宿題が間に合わなかった。
少し手伝えば良かったかとも思うが、夏休みの宿題は手伝って貰えるという甘い考えが見て取れるので、今回はあえて手伝わなかった。もちろん、やり方を聞かれたら教えるし、こうしたらどうか?というヒントは出していた。それでも間に合わせようとしなかった。彼はなかなかのハートの強さだ。
人間は、自分自身の問題や、良い面に本人が気付いて変わろうとしたり、伸ばそうとする事が成長の近道で、その「気付き」のきっかけを与えてあげることが親や周りの人間の役割だと思っていた。いや、むしろそれぐらいしか本人以外の人間に出来る事は無いと思っていた。
しかし、一を聞いて十を知る子もいれば、一を聞いても二や三しかわからない子もいる。同じ経験をさせても同じように感じて同じように成長するわけではない。能力や感性は個人差がある。同じきっかけを与えたところで同じようには育たないんだ。
自分が子供達に良かれと思って経験させてきたことは、私自身の成長のきっかけになったこと。子供達には感じるところが少なかったのかも知れない。
今となっては育て方が悪かったと言われてもしょうがないと思うし、自分自身もそう思ってしまう時もある。もっと厳しく接したら良かったのかと…。
私は小学生、中学生といわゆるデキる側の人間だった…ようだ。ようだ…と言うのは、本人にはそんな自覚が無かったからだ。余裕が無かったんだと思う。四月生まれのアドバンテージをフル活用している自分自身の能力の限界に気付いていたし、その限界を打ち破る努力も一切してこなかった。
にもかかわらず、周りや親から見たらデキる子だったんだ。
でも本人はわかっていた。
デキる子もどき。
コレが正体だ。
デキる子に見えるように必死に振る舞っていただけだ。
そう考えると、自分の子供はやっぱり自分に似てるのかもしれない。自分自身をデキる子に見せる術を知らないだけで、中身は一緒なんだと思う。
そう思って向き合っていこう。解ろうとしてあげよう。
人生は長い。夏休みの宿題がなんだ。
良いことも悪いことも経験する全ての事が彼を形作る。嫌な経験も、いつか役にたつ。困難を乗り越える糧になる。
困難にも逃げずに正面から向き合えば、後で笑い話に変わるんだ。
子供達よ、『デキる子もどき』にはなるんじゃないぞ! ありのまま生きればいいんだ!今のままでいいんだ!
子育ての答えっていつ出るのかなぁ。いつか、正解不正解がわかる時がくるのだろうか。
子供との関係の在り方と、自分自身を見つめ直すきっかけになった出来事だった。
最近、「夏休みの友」って無いのな。ラジオ体操も…復活させて欲しいわ〜。